距離感の違い
先週末、福岡の実家へ行ってきました。14年前に父親が亡くなり、現在は、母親が一人で暮らしています。最近は年2~3回のペースで帰省していますが、今年も今回で3回目です。
実家に帰って何をするかと言えば、ただひたすら話を聞くことです。普段一人暮らしということもあるのでしょうか、とにかく母親はしゃべる、しゃべる。私はほとんど「へえ~」とか「そう~」とか言ってるだけなのですが、マシンガントークは、とどまることを知りません。話の内容は、日常生活のこと、いろんな人の安否、過去の出来事(ほとんどが、私がいかに苦労をかけたかということ)ですが、私にコメントを求めることはほとんどなく、ほぼ「自己完結」してしまうような感じです。
そんな中で、「へえ~」「そう~」と相槌を打っているだけの私が、「うん?」と聞き耳を立ててしまうことがたまにあります。今回は、病院の話。
私の実家がある福岡県豊前市は、人口は3万人をきって2万7700人。市域面積は、111.17平方キロメートルですから、ざっと座間市の6倍の面積のところに、1/4以下の人口となりますが、市内に総合病院はありません。総合病院は、聞くところによると県境を超えて大分県中津市か、県内では行橋市までその間の自治体をこえて行かなければなりませんし、もちろん公共交通の利便性は都市部とは比べようがありません。
一方、座間市も近隣市に比べて、総合病院は少なく、同じ医療圏である海老名、厚木、大和などの病院が広域二次医療の対象となりますが、それでもその距離は、実家のある自治体の市域内の距離。近隣市との距離感は大きく異なります。
確かに都市部の場合、救急時、交通渋滞などによる時間のロスはあるでしょうが、医療にアクセスできる「距離」という外形的なものからすれば、大きな「格差」が生じていることはまちがいありません。座間市でも多くの市民の方々から、「病院が近くにない」という声を聞き、実家でも母親から同じ言葉を聞きましたが、改めて、その「距離感」の違いを実感したところです。
あと今回、ほんとうに久しぶりに高校時代の同級生とお会いする機会がありました。当たり前のことですが、高校時代一緒に過ごした時期は3年間。人生の中のわずか3年間なのですが、その印象や思い出は強烈なものとして今も残っています。やはり「多感な年代」だったからなのでしょうか、不思議なものです。
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