キャンプ座間視察
今日の朝は寒かったですね。朝、市役所6階の議員控室から見た大山などの丹沢山系も上の方は雪化粧。

さて、今日は座間市基地返還促進等市民連絡協議会(略称:促進協、会長:遠藤三紀夫座間市長)のキャンプ座間視察でした。キャンプ座間は米陸軍の基地ですが、本日の視察先はキャンプ座間内にある陸上自衛隊座間駐屯地。
座間駐屯地は昨年3月に再編され、これまであった陸上自衛隊中央即応集団司令部が廃止となり、新たに朝霞駐屯地に陸上総隊司令部が新設され、キャンプ座間には陸上総隊日米共同部が設置されることに。一方、これまで3個中隊だった第4施設群に、新たに1個中隊が移駐してきました。今回の視察では、再編後の座間駐屯地の状況を確認することが目的です。
まず、キャンプ座間のゲートで、身分証明書を提示し、パスが渡されます。

その後、陸上自衛隊の座間駐屯地へ向かい、装備車両等の見学。下の写真は「81式自走架柱橋」とよばれるもので、河川などに橋を架設し戦車などを通過させるためのもの。1981年から使用されているので「81式」となっているようです。1981年といえば、1979年がソ連のアフガニスタン侵攻ですから「米ソ冷戦」の真っ最中。当時の「対ソ北方重点配備」の一環として配備されたのでしょう。

次に、旧陸自中央即応集団司令部隊舎で現在は、日米共同使用となっている建物の中でのブリーフィング。

入口を見ると、向って右側には陸自の「第四施設群」と「陸上総隊司令部日米共同部」の看板。

左側を見ると、「米陸軍第一軍団(前方)」と「米海兵隊連絡室」の看板。

キャンプ座間は、米陸軍の基地ですから「米海兵隊連絡室」って何?と思いブリーフィングの際に聞いてみると、
「陸上総隊司令部の隷下部隊として、長崎県佐世保市の相浦駐屯地にある水陸機動団がある。これは島しょ部の奪還などを想定した部隊(日本版海兵隊ですね)で、カウンターパートは米海兵隊なので、その連絡要員が1名いる」
とのこと。連絡要員が1名いるだけで「米海兵隊連絡室」という看板は、あまりにも誇大表示ではないかと思いますが、なぜなんでしょうかねえ。
私の見立てとしては、陸自の主観的な「願望」が込められているように感じます。いわゆる「島しょ防衛」の危機を煽りたてる現在の政権ですが、米軍が尖閣をはじめ、それに積極的に関与するとは思えません。かつて、米ソ冷戦時は「北方重点配備」で予算と人員を確保していた陸自の生き残りとしては、「島しょ防衛」は、かっこうの材料。だからこそ、たった1名しかいないにもかかわらず「米海兵隊連絡室」という看板をかかげ、「米軍との連携」を演出したいのではないでしょうか。
昨年明らかとなった米軍相模補給廠への第38防空砲兵旅団司令部の設置、これももそう。「米陸軍と陸自との共同の取り組みを緊密にするため」とされていますが、米軍ではPAC3を陸軍が運用するのに対し、日本では航空自衛隊が運用しています。当然ながら、米陸軍のカウンターパートは陸上自衛隊であり、航空自衛隊のカウンターパートは米空軍のはずであり、米陸軍と航空自衛隊による「共同の取り組み」は想定されていません。PAC3の実践的運用にあたって、どのようにして「自衛隊との共同の取り組み」をするのか、はなはだ疑問に残るところです。
朝鮮半島情勢が大きく変化し、北東アジアの非核、平和の可能性が増している時に、緊張を煽り、「組織の人員と予算を確保するため」などというちっぽけな理由で、基地強化されるとしたら、残念なことだと思います。
| 固定リンク
| トラックバック (0)









